2025/05/14 日記,裏話,おすすめ #言語化 ”人間”を特別視するのは間違ってる。人間だけが特別なわけじゃない…みたいな論説を何度も見た。この広い宇宙において人間なんていち生命にすぎない。だから、世界の中心のような書き方をするな……のような、特別扱いされる作品についての批判に近い意見も見たことがある。私もそうだなあ、と思ってきた。だけど、もし本当に特別だとしたら?続きを読む特別……というより、「異質」なのかも。突然変異で生まれた生命。(言えば生命は皆突然変異だけど)その中でも人間はきっとレア中のレアな変化を遂げて進化してきた生命だ。進化学についてはあまり詳しくないけど、多分人間が人間の姿になるまでには、天文学的な確率を抜けて今に至っているだろうから。変化や進化に必然性はない。大抵は多分、偶然だ(過去の偶然が形になることを必然と呼ぶことも出来るが)。可能性とか確率の話でしかない。でも、その恐ろしい確率の群れを抜けて、人間はここにいる。他に同じ生命はいない。そういう意味では、「人間」は、ずっと孤独な存在なのかもしれない。そして、その「孤独」を寂しがって、同じ存在を探そうとしている。動物の中に、無機物の中に、概念の中に、作品の中に、あるいは宇宙の外に。名越先生(ある精神科医)のその言葉を聞いて、うわ~~~…と衝撃を受けてしまった。寂しい~~!!(?) 漠然とした寂しさ、孤独、人と一緒にいても何故かぬぐえぬ感傷。すごく不思議じゃない? だって人間って仲間はいっぱいいるのに(何十億と)、同じ生命という意味では地球の生命は皆仲間なのに、それでも寂しがって他に仲間を探そうとするのはさ………。本質的に、人間って孤独なんだろうなと思っている。少なくとも私は、人の中にあっても孤独を感じてきた。どうしようもなく自分は「個」であると。漠然としたどこかへの帰りたさとか、自分の存在の異質さとか、寂しさとか、そういうのってなんなんだろうね? すごく不思議な感覚だと思っている…。物理的には全然人に囲まれて生きているのに。それそのものが嫌というわけじゃないんだけどね… わかって過ごしていれば、そういうものだと思えるし。ただ、これについて死ぬ瞬間に至ってもきっと答えはでないんだろうなあ…とうっすら思っている。それがちょっと悲しい。「人間」は(孤独であるゆえに)自分と同じような生命を探すし、「他の生命を擬人化する(他者に人間/自分を投影する)」みたいなことも言ってた気がするんだけど、この、他者に自分を投影してそうだと信じようとする、という部分は目からうろこだった。確かに、確かにそうだよな……?! と。一緒に相対する存在が同じ気持ちであれば嬉しいし、分かり合えたら、繋がれたら嬉しいし、それは人間に限らず、他の生命、他の作品、概念、まだ見ぬ宇宙人に対してだって、きっと思ってる。人間って欲深いなあ……仏教の思想からすると、それらも含めて全部空なんだろうけれど、私は人間のそういう欲深さや業深さのことを、割と愛しているのかもしれない。かなり脱線していったけど、動物心理学について最近ちょっと調べている。この記事、面白かった。※名越先生の「ファミレスを享受せよ」の実況での、ある話を聞いて思ったことだよ!ファミレスを享受せよは面白いので、もし興味あるなら是非やってみてね(布教)畳む
”人間”を特別視するのは間違ってる。人間だけが特別なわけじゃない…みたいな論説を何度も見た。この広い宇宙において人間なんていち生命にすぎない。だから、世界の中心のような書き方をするな……のような、特別扱いされる作品についての批判に近い意見も見たことがある。
私もそうだなあ、と思ってきた。だけど、もし本当に特別だとしたら?
特別……というより、「異質」なのかも。突然変異で生まれた生命。(言えば生命は皆突然変異だけど)
その中でも人間はきっとレア中のレアな変化を遂げて進化してきた生命だ。進化学についてはあまり詳しくないけど、多分人間が人間の姿になるまでには、天文学的な確率を抜けて今に至っているだろうから。
変化や進化に必然性はない。大抵は多分、偶然だ(過去の偶然が形になることを必然と呼ぶことも出来るが)。可能性とか確率の話でしかない。でも、その恐ろしい確率の群れを抜けて、人間はここにいる。他に同じ生命はいない。
そういう意味では、「人間」は、ずっと孤独な存在なのかもしれない。そして、その「孤独」を寂しがって、同じ存在を探そうとしている。動物の中に、無機物の中に、概念の中に、作品の中に、あるいは宇宙の外に。
名越先生(ある精神科医)のその言葉を聞いて、うわ~~~…と衝撃を受けてしまった。
寂しい~~!!(?) 漠然とした寂しさ、孤独、人と一緒にいても何故かぬぐえぬ感傷。すごく不思議じゃない? だって人間って仲間はいっぱいいるのに(何十億と)、同じ生命という意味では地球の生命は皆仲間なのに、それでも寂しがって他に仲間を探そうとするのはさ………。
本質的に、人間って孤独なんだろうなと思っている。
少なくとも私は、人の中にあっても孤独を感じてきた。どうしようもなく自分は「個」であると。漠然としたどこかへの帰りたさとか、自分の存在の異質さとか、寂しさとか、そういうのってなんなんだろうね? すごく不思議な感覚だと思っている…。物理的には全然人に囲まれて生きているのに。
それそのものが嫌というわけじゃないんだけどね… わかって過ごしていれば、そういうものだと思えるし。ただ、これについて死ぬ瞬間に至ってもきっと答えはでないんだろうなあ…とうっすら思っている。それがちょっと悲しい。
「人間」は(孤独であるゆえに)自分と同じような生命を探すし、「他の生命を擬人化する(他者に人間/自分を投影する)」みたいなことも言ってた気がするんだけど、この、他者に自分を投影してそうだと信じようとする、という部分は目からうろこだった。確かに、確かにそうだよな……?! と。
一緒に相対する存在が同じ気持ちであれば嬉しいし、分かり合えたら、繋がれたら嬉しいし、それは人間に限らず、他の生命、他の作品、概念、まだ見ぬ宇宙人に対してだって、きっと思ってる。人間って欲深いなあ……
仏教の思想からすると、それらも含めて全部空なんだろうけれど、私は人間のそういう欲深さや業深さのことを、割と愛しているのかもしれない。
かなり脱線していったけど、動物心理学について最近ちょっと調べている。この記事、面白かった。
※名越先生の「ファミレスを享受せよ」の実況での、ある話を聞いて思ったことだよ!
ファミレスを享受せよは面白いので、もし興味あるなら是非やってみてね(布教)
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